バイバイ・バレンタイン

 最初に彼女からチョコレートをもらったのは高校1年のときだった。
  僕と彼女はクラスメイト。それだけの関係だった。
「これ、あげる。」
  そう言われて、僕の手に載っているのは20円くらいのどこにでも売ってるようなチョコレートだった。
  僕はそのチョコレートをくれた彼女の顔をじっと見る。
「何、これ。」
「今日、バレンタインデーだから。」
「あ、そう。・・・ありがとうって、言ったほうがいいかな。」
「別に、私が好きで渡したから。それに、義理だし。」
  彼女は河原のほうを見たまま答える。

  義理か。僕はチョコレートなんてもらったことが無いからなんだか妙な感じだ。本命だとしても同じだろうけど。
「あとひとつもらったら。ギリギリチョコレートだね。」
  軽口を言ってみた。彼女はクスリとも笑わなかった。面白くなかったからだろう。
「それじゃ、バイバイ。」
  そう言って彼女は立ち去ろうとした。
「あ、ひとつ質問していいかな。」
 僕がそう言うと、彼女は立ち止まってこちらを振り向いた。
「ホワイトデーは、3倍のほうがいいのかな。」
  彼女は首を振った。そんなにいらないという意味だろう。
 僕が頷くと彼女は言った。
「2倍でいい。」
  ・・・2倍は、貰うつもりなんだ。
「じゃあ、バイバイ。」
  そう言って彼女は立ち去った。
  結局、それから彼女と話す機会は無かった。

  3月のホワイトデー。僕は彼女に40円相当のお菓子をあげた。
「ありがとう。」
  彼女の顔は笑ってなかった。そういえば、彼女の笑っている顔を見たこと無いな。と思った。
「君ってあまり表情変えないね。」
 笑ってほしいの。そう聞かれたが、別に。と答えた。結局、彼女は笑うことなく。それから彼女と会話をすることはなかった。
  ただ、彼女は別れ際にまたも、バイバイ。と言った。

  1年後のバレンタイン。彼女からまたチョコレートを貰った。去年のホワイトデーの倍の80円くらいのチョコレートだった。
「今度は、本命。」
 彼女はいつもの無表情で答えた。
  ありがとう、と僕が言うと、彼女は
「それだけだから。じゃあ、バイバイ。」
  といって立ち去ろうとした。
 僕はまた彼女を呼びとめ、去年と同じ質問をした。すると、彼女はこう答えた。
「気持ちも2倍込めて。」
  僕は努力する、というような事を言った。そして彼女はバイバイ、と言って去っていった。

  そして3月。
 僕は彼女に160円と自分では倍の思いを込めたつもりのお返しをした。
  彼女はいつもと変わらぬ顔でありがとう、と言った。
「付き合おうか?」
  そう僕が言うと。彼女もそうだね。と言った。そして
「これからよろしく。」
  と手を差し伸べてきた。僕もその手を握り、よろしく。と言った。
  その日はそれ以上話をすることは無く、彼女はバイバイ。と言って立ち去った。

  それから僕と彼女の付き合いが始まった。
  普段から話すようになり、週に一回くらい一緒に帰るようになった。
 周りからは特に何も言われることは無かった。
  お前らいつも一緒にいるんだな。とはよく言われたけれど、付き合っているとは思われてなかったみたいだ。

  僕も彼女もあまり喋るタイプじゃなかったからかもしれないが、会話は弾まなかった。
  付き合うようになっても彼女の表情が変わることはなかった。もとから感情の起伏が少ないのかもしれない。
  そういう意味でも、僕たちは似ていた。
  付き合い始めてわかったことだけど、彼女は必ず別れるときにバイバイ。と言う。
  それがどうした、というわけでもないけど。
 
  さらに一年が過ぎて、3年目のバレンタインを迎えた。
  僕と彼女は一緒の学校に行くことになっていた。
  私立の学校だったので、二人とも面接で受験して、合格が決まったところだった。
  その年は僕もバレンタインデーのチョコレートを用意していた。
 どうして。と彼女が聞いたので、
「今年からはバレンタインデーもホワイトデーも二人で一緒にしよう。」
  と答えた。
  彼女はわかった。と答えた。そして二人でチョコレートを交換して、バイバイと言って別れた。
  僕も別れ際にバイバイと言う様になっていた。

  それから4年間。二人で大学生活を過ごした。
  毎年、僕と彼女はバレンタイデーとホワイトデーにチョコレートやお菓子を交換した。年を重ねるごとに、想いは量では測れないけれど多分、値段と一緒に倍に倍になっていった。
  僕と彼女はそれぞれ別の会社に就職した。
  二人とも英文科だったので、僕は翻訳家に、彼女は貿易会社に。
 僕と彼女は同棲することになった。僕と彼女の両親はあまり反対はしなかった。
  今になって考えると、僕と彼女が付き合ってるなんて思ってもいなかったのかな。僕と彼女はお互いに変わっていたから。

  それから更に4年後のバレンタインデー。僕たちはオランダに引越して、結婚することになった。
  仕事の上でも、これからのことでも。オランダという土地は結構都合がよかったからだ。
 日本じゃ結婚はできなかったし。
  ひとつ問題といえば、お互いの両親からは猛反対を受けた。もしかしたら結婚式には来てもらえないかもしれない。
  あるいは縁を切られてしまうか。
 ただ、それでも僕たちは結婚する意志は変わらなかったし、それだけ幸せだった。
  結婚式は2月14日。その年のバレンタインデーに交換するのは、指輪だった。
「今年は去年の倍じゃなくて、一気に値段があがったね。」
  と僕が言うと、彼女もそうね。と言った。
  僕がある提案をした。
「それじゃ、こうしよう。今年からは、去年と値段は一緒。だけど、想いは4倍にしようよ。」
  そう言ったとき、彼女は嬉しい。と言って。
  初めて僕の前で微笑んだ。



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