一目惚れ・習作（二稿目+微修正

　スカートを風でばたばたと遊ばせながら、私は人目も気にせず走っている。髪を散らす向かい風が憎い。革靴が擦れて踵が痛くなり始めてる。
　 息苦しいのはトーストを口に咥えてるからだ。いつもなら程よい焼け具合とバターの香りに満足だけど、走る上ではただの障害だ。それでも惜しくて、手放せない。誰のせいかと言うと、寝坊なんかする私のせいだ。

　ちょっと自慢になるが、私は毎日寝坊するような生活はしてない、朝起きられなくなるような夜更かしもいつもならばしない。
　 ただ昨晩だけは違った。学園祭の準備でおそくまで残って、家に帰ってからも宿題を片付けるのが辛かった。１日中ばたばたしてたせいで、うっかり目覚まし時計のスイッチを入れ忘れてしまった。

　朝日が顔に当たって目が覚め、枕元の携帯の着信の点滅ランプが目に付いた。どれどれ、と寝ぼけ眼で折りたたみ式の携帯をパカリと開けてみると、これである。
　 どうりで朝日がやけに明るいはずだ。なんて思う間もなく私はベッドから飛び起きていた。
　 パジャマをたたむ事もせずに着替え、鏡でサッと外見をチェックした後、取るものも取らずにといった勢いで家を出た。確かに手には鞄以外のものはなかったが、口にはトーストがあった。

　まだリビングに広がっていた朝食が名残惜しい。お父さんはコーヒー、お母さんは紅茶。
　 ちなみに私は牛乳党。
　 生クリームを少しと隠し味にハチミツを使った甘めのスクランブルエッグ、こんがりと焼いたベーコンのこうばしい香りが魅力のサラダ。
　 極めつけは近所のパン屋さんから買ってる食パンのトースト！
　 たとえ走りながら食べるなんてはしたないことをしてでも、これだけは食べないわけにはいかなかった。
　 ああ、それにしてもこんな状況で食べなきゃいけないのが本当に惜しい。トーストが口の中の水分を吸収して余計に喉が渇く。でも美味しい。美味しいけど息苦しい。
　
　 体が火照ってきた。そろそろ汗をかき始めてくるころだ。汗をかくのだけは嫌だなぁ。今日は１限目は体育じゃなくて２限目だ。汗をかいてしまったら１限目を汗でベタベタしたなかで過ごさなきゃいけない。
　 でもまてよ、出てくるとき、鞄の中身はチェックしたっけ？　してるわけがない。体育の後の必需品、汗拭きタオルが入ってなかったら……。
　 いいや、後のことは後で考えよう。あの十字路のところからはスピードダウンしよう。もう走らなくても大丈夫な頃だろうし。
　 喉は相変わらず渇いてるけど、ゆっくりとトーストを味わいながら、学校の購買で牛乳を買おう。
　 なんて思って十字路に出たとたん、横からの衝撃とともに私の視界は空を映した。衝撃で口から離れていくトーストがスローモーションで回っている。一口だけ齧ったトーストが青空に映えるけど、トーストは帰ってこない。

　あ、転んだのか。と転んでから気づいて、とりあえず上半身を起こす。幸いにもひどく痛む場所はない。でも起き抜けにあまりに走ったためだろうか、すこしクラクラする。立ちくらみならぬ、座りくらみ。である。
　 揺れる視界の横からすっ、と手が差し伸べられる。ぼんやりとそちらの方を見ると、学生服を着た男子が手を差し伸べている。私の学校の制服だ。
　 まず手に注意が行った、年頃の女子もうらやむかのような綺麗な手だ。すらりとした指。傷ひとつない肌のその白いこと。切りそろえられ、磨かれたかのようにつやつやとした爪。
　 そんな手をまじまじと見ていると「大丈夫？」と声がかかった。ようやく、私は我を取り戻した。
「ご、ごめんなさい」と慌てて言いながら彼の手を取り、顔を上げる。が、私はまたそこで言葉を失ってしまう。
　 トーストも、喉の渇きも、汗のことも。全部忘れてしまった。
　 私を立ち上がらせてくれた彼は、ふと落ちているトーストに目をやった。私の置かれた現状を思い出し、恥ずかしさのあまりに顔が熱くなってくる。
「あ、いや。その……それは」どうしよう。頭の中は真っ白だ。
　 私がまごまごしているうちに、彼は鞄から何かを取り出して私に握らせると、そのまま何も言わずに行ってしまった。私は赤くなることしかできずに、じっとその後ろ姿を見ていた。耳にうるさいほどにドキドキと聞こえる鼓動、走ったせいじゃない。

　彼の姿が見えなくなってしまうと、私は手にあるそれ、にようやく気づいた。
　 あんぱん。だった。

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