企業戦士

『しょうらいのゆめ すずきまさひこ
ぼくはおとおさんのようなつよくてりっぱなさらりーまんになりたいです。
そしてたくさんしごとがしたいです』

20xx年 子供のなりたい職業
  1位サッカー選手 2位野球選手 ランキング外、会社員 (政府の調査による)

 鈴木正雄は宮木重工の社員である。
今年で32歳の働き盛り、今日も営業に精を出しあちらの会社、そちらの会社へと足しげく通う。
  中肉中背で健康だが近眼。昼食は愛妻弁当、5歳年下の妻が毎日作ってくれる。酒は飲まず、煙草も吸わない。
  趣味は体を動かすこと(本人談)。
  仲間内でもリーダーシップを取り、率先してプロジェクトを進めるやり手、出世頭だ。

 そんな鈴木の元へ一本の内線が届く。
誰だろう、と内線電話を見ると・・・社長室からだ。あたりの様子を伺いながら電話を取る。
「はい、営業1課の鈴木です」
「鈴木君かね、私だ」
「これは社長。私などにどういったご用件で」
「私から君に内線が行ったとなれば、わかるだろう?」
「・・・はい、それでは後ほど」
  鈴木は内心舌打ちする。またか、どうも最近この連絡が多い。

 内線を切り、鈴木は席から立ち上がる。
と、そこで隣の営業2課の皆川が鈴木に声をかける。
「あ、鈴木さん。ちょっとこのプランについて聞きたいことがあるんです。
  あの、もしよかったらこれからお茶でも飲みに行きませんか?
  もしよかったら、でいいんですが・・・」
  鈴木は首を横に振ると、悪いね。ちょっと立て込んでて。と言って足早に出て行った。
  皆川は仕方ない、と思った。鈴木は真面目で仕事もできる。融通が利かないという訳でもなく・・・・要するに多忙で周囲からも人気が高いのだ。
  皆川は気がつかない。いや、ほとんどの人間が気づかないのだ。鈴木がこの会社の命運を握っているなどとは。 
  鈴木はエレベーターに乗る。他に乗員がいないことを確認すると、複数のボタンを暗号照明のように押していく。
  そうして最後に「閉」ボタンを押すとエレベーターはどんどん地下へと下る。ゆったりとした浮遊感を味わいつつ鈴木は気を引き締める。

 そういった一連のおなじみの作業をこなし、鈴木は社長から直接仕事を受け取る。そして今鈴木は、裏路地を走っている。何のために? それが鈴木の本来の仕事だからだ。
  目標があるビルまであと少し、そこで空気が揺らめく。ピリピリとした見えない力が空気を押しやる。鈴木は走る足を遅め、身構える。
  五感を研ぎ澄まし、空気を探る。空から地上を俯瞰するように、空間を認識する。見えない目が、耳が、肌が、そこに圧力の原因を感じ取った。
  そこにいたのは一人のスーツの男だった。雨も降っていないのに、手には傘を持っている。1メートル半はあろうかという長い傘だ。
  薄い色のサングラスを掛け、後ろにきっちりと撫で付けた髪。グレーのスーツに青いシャツ。外見は普通のサラリーマンである。しかし違うのはその身にまとう空気。それを表現するならば猛る獅子のような、そういった空気を身にまとっている。
  だがそれは、今の鈴木がまとっている空気と同質のものだった。

「資料を狙う者か」
  サングラスの男は誰に聞くでもなく、自分自身で確認するかのようにそう言った。
「宮木重工の鈴木だ」と鈴木は答える。
「誰であろうと、あの資料は渡さん。あの資料は我々の・・・ものだ!」
  言い終わると同時に一陣の風が鈴木のいた場所を凪ぐ。鈴木の後ろにあったポリバケツが分断される。傘はいつの間にか刀へと変わっていた。
  すんでのところで宙に逃げた鈴木はくるりと身をひるがえし、すぐそばの壁を蹴り急降下する。鈴木の踵は男の頭にめり込む・・・はずだったがそれを男の傘が受け止める。金属と金属がぶつかり合う音。
  鈴木の靴、そして手にはめたグローブにも金属の何かが仕込まれているようだった。
  鈴木は傘を着地点に後ろへ宙返りをして間合いをとる。男も半歩下がり、自らの刀の範囲から遠ざかる。
「宮木重工の鈴木。と言ったか・・・やるようだな。覚えておこう」
「そっちこそ、そこらのサラリーマンではないな」
「名を名乗っていなかったか。俺はサンコーエレクトロニクスの大田だ」
「サンコーにお前のような猛者がいたとは」
「ふん、別に覚える必要はない。これから死地へと向かうものにはな」

 言い終わると、それが合図のようにお互いが動き出す。
  傘と拳が数合、打ち合う。大田と鈴木はまるで踊っているかのようだった。それは命を賭した冥府へのダンス。
  下からすくい上げるような傘を足で受け止め、そのままの勢いで側転しながら鈴木が蹴りを放つ。男はそれを大きく上体を逸らして避け、くるりと体を回転させ傘を一閃させる。
  両手で拳を構え、その一撃を受け止め、鈴木は傘と拳を密着させたまま大田の懐に潜り込む。
  大田は傘を逆手へと持ち替えると、両手で渾身の力を込めて傘を振る。
  その勢いにたまらず鈴木は自分の間合いから外へと弾き飛ばされ、体勢を崩したところに大田が踏み込んでくる。
  逆手で構えられた傘の一撃は、先程よりもずっと速かった。
  崩れた体勢からブレイクダンスをするように鈴木の体が回転し、そこから足が伸びる。それが大田の足をすくい、転倒させる。
  お互いがすぐさま体勢を持ち直し、大田はまた正眼に傘を構え。鈴木は拳を振る。
  ダンスは続く、互いの命を削りながら。二人でテンポをあわせ冥府へと向かう。ダンスを終えて最後に笑うのは鈴木か、大田か、それとも死神か。

 ところどころほつれ、裂けた背広を背負った鈴木が社へと戻ったのは夜明けのことだった。
  鈴木はデスクから缶入りのプロテイン飲料を取り出すと、ぐっと一気に飲み干した。
  燦々と朝日の差し込む社内で鈴木は一人呟いた。「早く帰ってシャワーを浴びたい」

 彼らの存在を知るものはごくごく一部しかいない。普段はサラリーマン。しかしその真の姿は、会社の命運を握るエージェント。
  より強いエージェントを有する企業はより繁栄する。それが真の企業間の争いなのだ。
  そしてエージェントはこう呼ばれる、企業戦士。と。



←Back