図書館


 なんで僕がこんな教室の掃除当番なんてしなきゃいけないんだと思って理由を探したら、遅刻が原因だった。
  しかし朝の五分の追加睡眠は何よりも大事なので仕方ない。がそれで十五分の掃除をしたら意味ないんじゃないのか。
  つまりこの掃除の時間を利用して十五分早くに寝れば、いつもよりも十分も余分に寝ていられる!
  ああ、なんて賢いんだ僕はと自分の才覚に感動している最中、無粋な声が掛かった。
「おい、知ってるか」「……うん?」
  声をかけてきたのはクラスメイトの遅刻仲間だった。こいつと掃除当番が一緒にならない日はほぼ無い。
「図書館に幽霊が出るらしい」
「図書館……あったっけそんなの」つうかそんなオープンでいいのか、幽霊。
  少なくとも僕は行ったことがない。というか漫画以外の本を一冊も読んだことがない。おそらくこれからも読まないんじゃないだろうか。
「少しは本読めよな」
  うっさい、遅刻するやつにそんな事言うんじゃない。と言いたかったが読書と遅刻に関連性はほとんどない。

 放課後、目の前にあるのは図書館。
  そんなにイベントに飢えてるのかとか言うなよ……哀しくなるから。
  ボロいかボロくないか、と聞かれたらボロいと答えるだろう。
  利用されてないオーラが具現化して目に見えそうなくらいに寂しい図書館が目の前にあった。
  これはこれで、確かに何か出てきそうな気配がある。
  入り口で立ってても仕方ない。意を決して僕は学校みたいな扉を開けた。
  入ってみると意外や意外。中は掃除が行き届いてるのか、古さは目立つものの清潔感のある場所だった。
  おまけに静かだ。学校の図書室も確かに静かだったけど、この図書館はその比じゃない。
  足音がするから歩くのもためらわれる、そのくらい静かだ。図書館って言うのはみんなこうなんだろうかね?
  受付と思われるところには誰もいない。そりゃそうだろう、こんな寂れた図書館にいたら、暇で暇で溶けてしまうに違いない。呼び鈴かなんかを押せば奥のほうからミイラ寸前のお年寄りが出てくるんだろうきっと。
  ふらふらと本を探すフリをしつつ、うろついてみた。そんなことしなくても、誰もいないのだが。
  おかしな(たとえば人型の)シミはないか。不自然に天井から水がしたたってやしないか。
  ラップ音、ポルターガイスト、エクストプラズム、ついでに本をくり抜いて作られた武器や粉の類、いかにもな感じの魔術書は無いかなどなど……。
  ――十分で飽きた。なんもねぇ。
  しかし、ここで帰ってしまってはわざわざ遠出してきた意味がない。何て言ったって学校から家までの距離を逆ベクトルに来たのだ。
  こうなったら意地でも何らかの成果を出さなきゃ気が済まない。
  そう決意して、目の前の棚に目をやるとそこは児童書・絵本のコーナーだった。
 
  ……うう、ぐすっ。なんていい話なんだ。絵本はいいなぁ、きっと人類の宝だ!
  まさかおじいさんとおばあさんと大きな蜂が出てきてジャムサンドの中にバターになった虎が入ってきて心優しい赤鬼がアレでこうしてああなって、月に帰ってめでたしめでたしだなんて、誰が予想出来たろう(いやできまい)!
  よし、これからは心を入れ替えて読書をしよう。いつかはあれだけ馬鹿にしていたベストセラーも飽きることなく読めるかもしれない。
  ゆくゆくは文学小説にも手を出して、本屋のかわいい店員さんに本を薦められたりして、本の話題で盛り上がっちゃったりして、休みの日ではカフェで読書なんかしてカフェの店員さんと仲良くなってしまったり。
  ああ、なんて素晴らしいんだ。読書!
  とりあえずここで図書カードを作ろう。そう思って足を向けると。
  さっきは居なかった受付のところに、いたのだ。

 俯いて本でも読んでいるのだろう。
  襟の白さが眩しいくらいに白いカッターシャツ、黒ぶちの細いメガネ、一歩間違えれば野暮ったくなってしまう真っ黒なロングヘア。
  完璧なまでの図書館の司書さんがそこにはいた。もう司書さんじゃなくてもいい、図書委員長でも書店店員さんでも受付嬢でも、何なら南京錠でもいいくらいだ。
  彼女はこちらに気づくと初々しくはにかんで「こんにちは、貸出しですか?」と楽器のような美しい声で僕に尋ねた。

 貸出しもそうだけど、できれば君ともっと話がしたいな。そうだ犬は好きかな? 犬はいいよね、犬は。
  君も犬が好きなんだ。ああ、僕たちってなんて気が合うんだろう! もしかしてこれって運命かな?  運命に決まってるよね、うんそうだそうに違いないぞ。結婚しよう今すぐ。学校? 両親? ははは、ちょっと障害があったくらいのほうが恋は燃えるじゃないか。
  早速だけどご両親に挨拶にいきたいな。え、秋田? そうか、君の出身は秋田なんだね。だから君の肌はそんなに透けるように白いんだね。じゃあ今日の夜行列車で秋田に行こうそうしよう。
  そして山の中腹くらいにある丘にペンションを建てて幸せに暮らそう! 子供は三人はほしいな、一男二女くらいがいいと思うな。犬は大型がいいな、そうゴールデンレトリバーみたいな愛嬌のあって賢いやつ。
  そして幸せに暮らそう、いつまでもいつまでも。

「あのー……」
  その声でようやく僕は我に返った。ちょっとトリップしすぎたらしい。
「と、図書カードはお持ちですか」
  しまった、そういえば図書カードすら持ってないぞ。僕の表情を察したのか、登録用の書類を差し出してくる。
  かりかりかり。少しの間、文字を書く音だけが響く。
  ……なんだこの重苦しい空気は。たかだか住所氏名電話番号を書くだけじゃないか。もっとこう、そう! 海の風や森林浴を思わせるようなさわやかな空気を滲ませなければ。
  やべ、字間違えた。おいしっかりしろ。明るい未来のためにもこんなところで躓くわけにはいかないんだ。
  そうだ、会話だ! こういった何気ないシーンから会話で趣味やら何やらを聞き出すのも重要なテクニックのひとつじゃないか。
「………………」かりかり。
  おいっ! 出せ! 声を!
  そうだ、天気の話題とかどうだろう、そう良い天気ですねと話題を振っておきつつ。ん、なんだこの嫌な音は? まさか。
  ……雨、降ってるよ。わ、話題話題話題はないのか何かそうだ学食の激マズカレーの話は駄目だ駄目だそんなネガティブでどうする。
  その時、僕の頭にピカーンと電球が光った。
  マニュアルとディスプレイをにらめっこしながら登録書類の情報を打ち込み(しかも人差し指だけを使って、だ!)している司書さんに思い切って切り出してみる。
「そういえばですね」こちらへハテナマークをつけた微笑を投げる彼女。
「この図書館に、幽霊が出るって聞いたんですけど」

 そう。そうそうそう。その為にここへ来たんだったよ忘れてた。今となってはそんな幽霊なんてどうでもいいけど話題として今この時点この場でこんなに適したものはないじゃないか。いやぁやっぱり天は僕に味方してるに違いないぞこりゃ。
  うまくいけば彼女の一見クールに見えがちな容姿とは裏腹な「きゃー! こわーい」的な部分が見えたりしてそこはほらお化け屋敷作戦の応用で。あ、司書さん駄目ですよこんなところで、そんな大胆な、いやまいったな。あははははは。

 またトリップしてた。
「ゆ、幽霊……ですか?」
  額に険を寄せる表情すら素敵に見える。僕は口からあることないことを喋々と延べる。
  途中「あなたも幽霊が目当てなんですか」とか「幽霊がもし見られたらどうするんですか」とかそういった類の質問が返ってきた気がするけど、僕はそれを彼女の好奇心を刺激したのだと思って意気揚々と喋繰り倒したのだった。
  その結果が。
  気がつくと何か嫌な音がした。目の前に星が上がっている。やあ綺麗だ、君はあまりに美しいから星になっちゃったんだね。とか言ってる場合じゃねぇ。痛え。
  いったい全体どうしたことだろう。数秒前まで頭の中のヴィデオをプレイバック。僕が夢中に喋繰ってるシーンだ。このあたりだろう。
  あ、彼女が何か取り出した。やたらと分厚い本だなぁ。しかもケース付きだ。角ががっしりしてるぞ。
  大きく振りかぶって、僕の視界が本で一杯になり――ブラックアウト。
  つまり僕は本の角で殴られたのか。痛いはずだ。あまりの痛さに現実に引き戻された。
  ぽろり、と擬音が付いたかように顔から本が離れる。めり込んでたのかもしかして。
  視界が開けると彼女が険のある顔でこちらを睨んでる。うーむ、やっぱり素敵だなどと思ってる場合じゃない。どうやら怒らせてしまったみたいだ。やべしかも目がちょっと潤んでる。
  どうしよう。このままじゃ二度とこの図書館に足を踏み入れられなくなる雰囲気だぞ。それはまずい。今後の計画に大きな差支えが出る。
「ごめんなさい」とりあえず謝ってみた。
  マリアナ海溝を思わせるような大きな間の後。こちらを睨んでいた彼女は喋り出した。
「ゆ、幽霊だって……別に幽霊になりたくて幽霊になったんじゃないかもしれないでしょう」
  仰るとおりです。
「そ、それなのに」べし。またも本で叩かれた。
「幽霊がいたら観光名所になるとか、生け捕りにしようだとか、アミューズメントパークにしようだとか。ひ、ひどいです。ひどすぎます」べしべし。
  え、僕そんなこと言ってたのか。
「あなたみたいな人が興味本位で、入れ替わり立ち代りくるから」どうやら幽霊目的でここに来たのは僕だけじゃなかったらしい。
「ゆっくり本も読めやしないじゃないですかー」べしん。
「はい、ごめんなさい。反省してます」
  幽霊なんてどうでもいいんです、ただの話題作りなんです。
「私はただここで本が読みたいだけなのに……」手近にある本を、透き通るような手がそっと撫でる。
「もう邪魔しません、幽霊のことも言いませんから」どうかその声の湿度を下げてください。
「本当ですか?」
「本当です」
「本当に本当?」結構しつこいな。
「本当に本当です。そうだ、幽霊は居なかったって学校に広めてきてもいいです」
  彼女は数秒、うらめしそうにこちらに向けて唸ってから。
「じゃあ……はい」そう言って彼女が差し出したのは――図書カード。
  そして僕は何冊かの本を借りて。やっと帰ることになって。図書館の玄関を出た所で、彼女の名前を聞きそびれたことに気づいた。
  そういえばネームプレートもしてなかったな。と思い、すぐ後ろに控えてる図書館の扉を振り返ると、扉にはプレートが提げられている。
『本日は休館日です』
  ええっと――来たときは、無かったよね? これ。
  透き通るような彼女の手がフラッシュバックする。何か嫌なものが首筋を這ったような感じ。確認するように扉を押すと……鍵がかかってる。

 もしかしてもしかすると僕は。幽霊に逢ってしまったようで。
  ついでに恋までしてしまったようです。
  ……ど、どうしよう?




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