お題もの書き「流れる」 タイトル:遺跡訪記

 それにしても暑い。なんでこんなに暑いのかというと、そりゃ歩いてるわけで。ちょっとしたこう配の坂道(それも舗装されてない山道を、だ)を歩いてなければこんなにも暑くはないし、汗も出てこないだろう。
  キジも鳴かずば撃たれまい。というやつだろうか? もっとも、キジという鳥は図鑑でしか見たことはないのだが。
  僕の2mほど先にゆれるポニーテイルの持ち主は、暑がっている様子はない。
  僕の平常のペースよりもいくらか早い、サクサクと小気味良い音が聞こえてきそうなペースで歩いている。
「チドリさん、ちょっと早いです」
  そう言うと、彼女は振り返りながらもなお、スピードを変えないままの後ろ歩きで僕の不満を返す。
「何を言ってる、このくらいのペースじゃなきゃ日没までに帰れんぞ」
「え、日没までに帰るつもりなんですか?」
「当たり前だ。夜の山は恐ろしいのだぞ。道はわからん、ケモノはいる。おまけに冷える」
「じゃあ、目的地で一泊しましょうよー」
「たわけ、そもそも施設がなかったらどうする? テントは持ってきたのか? 食料はどうした?」
「ちぇ、わかりましたよ……」
「うむ、わかればよろしい」
  それにしても、なんで同じペースで後ろ向きで歩けるんだろう。ひょっとしたら三半規管あたりを機械化してるんじゃないだろうか?
  と思ったら振り返る時に、横から伸びていた太めの枝に頭をぶつけた。屈み込んで、こめかみを押さえて唸っている。
「だ、大丈夫ですか?」
  問いには答えず、やがて勢いよく立ち上がると、涙目で僕を睨んだ。
「何を見てる?」
  いいえ、なんでもありませんよ。
「何で口元が歪んでる? 私が苦痛を味わうのがそんなに面白いか? え?」
  だから、なんでもありませんってば。

 それからほどなくして、目的地。山の中腹あたりにある、小さめの滝が作る池にたどり着いた僕とチドリさん。ああ、疲れた。……お腹もすいた。
  滝の下は、ちょっと広めの池になっていて、池を両断する桟橋が掛かっている。その端の中央、ちょうど池の中央に当たる部分にあるのが、目的の施設だ。
  古風で和風なイメージを出そうとしたんだろうか、桟橋も、施設も一見すると木と朱塗りの目立つ作りになっているように見える。
「さあ着いた着いた」
  桟橋を渡り、ずかずかと施設の中へ入っていくチドリさん。ああ、なんて勝手なんだ。万が一でも人がいたらどうするんですか? いないと思うけど。
「おーい、早く来たまえ!」
  はいはい、今行きます。
  案の定、人はいなかったが、思いもよらず幸運なことに、施設の電源が入れられたままになっていた。
  おかげで、冷蔵室も動いてたし、自掃機――自走式清掃機も動いてたので埃っぽくもなかった。
  この前みたいに、電源を入れてから掃除を待って、システムを制御して。なんてことで一日も潰す必要がなくて本当によかった。
  制御室に行ってカタカタとコンピュータを動かすチドリさんを僕は暇そうに見ている……なんてことが許されるわけもなく。
「起動は楽そうだから、ほかの準備しといてくれないか。ああ、それと冷蔵庫に走っていって、ちゃんと危なくないかチェックを忘れないで」
  人使いが荒い。
「急げよー、もう水回りも動かし始めるからなー」
  僕が走っていくのに併走して、自掃機があわただしく動いている。さてはチドリ女史に設定を弄られたな。
  ブルータスよお前もか、ってこれは意味が違うか。

 首尾よく材料をバッグに詰め、来た道を戻る。
  それにしても大量にあったなぁ。あれならここに篭っていても数年は食っていけるだろう。
  制御室に戻ると、設定を終えたのか、チドリさんは机に足を載せ、泰然した様でくつろいでいた。
「ご苦労、それじゃそいつをセットしてきてくれたまえ。セットしたら動かし始めるからな」
「あいあいさー」
  客席の裏側、通常なら厨房と呼ばれるような場所にあたるそこに、運んできた例のブツを適当な量、カートリッジに詰める。と、ほどなくして機械がガタガタ動き出した。放送でチドリさんの声が聞こえてくる。
『よし、動かし始めたぞ。席で待ってるからな』
  ようやく準備が整い、そこで僕は、初めて客席を目にする。
  最初に目に付くのはやはり、部屋の中央に鎮座ましましている半径10メートルはあろうかという巨大なリングだ。
  透明なパイプ状で、水平方向にすっぱりとスライスされた形になっていて、内部を水が流れている。
  そしてリングの内側には百席はあろうか、おびただしい数の椅子が設けられている。
  リングの内側と椅子の間には、十数センチくらいだろう、据え置きされた板がテーブルの役割を果たしていた。
  僕はチドリさんのいる場所を探すと、隣へと腰を下ろした。
  目の前に広がるリングも圧倒的な光景だが、席から外を見ると、山の景色、流れる滝がちょうど正面に来ており、桟橋の朱が水面に映える。まさに絶景のポイントだった。
「いい席だろう?」
「これは……すごいですね」
「さて、そろそろ来る頃だろう」
  チドリさんが少し上を見上げると、すこし上流のほうの天井からチューブが下りてきていた。
  ぱしゃん、と無数の白い糸状の麺が出てきて。リングへと解き放たれる。
『いただきます』
  僕とチドリさんの声が重なった。

 しばらく無言で麺をすする音と遠くの滝の音。目の前を流れる水の音だけが聞こえる。
「しかし、あれですね」
「ん?」
「流し素麺やるためだけにこの施設つくったんでしょう? 当時の人は贅沢ですね」
「しかしこうも考えられないか? その昔の人が作った施設を、我々二人だけで使っている。これも実に贅沢ではないか」
「なるほど……」
「お、ピンクと緑色いただき」
「あっ!」
「悔しかった君も取ってみたまえ」
「上流のチドリさんが全部取っちゃうじゃないですか」
「仕方ない。ほれ、一本やろう」
「それにしても、素麺って初めて食べましたよ、僕は。おいしいですね」
「揖保の糸だからな」
「毎日これじゃ、ちょっと飽きそうですけどね」
「それはビーフンだ」
「ビーフン? 何ですかそれ?」
「君はビーフンも知らないのか……」

 帰り道は下りのみ。さすがに楽だ。
  チドリさんは今度は後ろ向きに下りながら、僕のほうを見て話している。
「次はどこにいく予定なんですか?」
「そうだな、流れるプールなんてのはどうか」
  耳を疑う。プールは行ったことがあるが、どうやら女史の話によるとプールの水が流れているらしい。
  おまけに、ウォータースライダーとかいう、水のジェットコースターもあるらしいのだ。
昔の人は流れるものが好きだったんだろうか。
「もうちょっと暑くなってからだな。あとは、新東京タワーくらいか」
「過去の遺産が新とはこれいかに」
「バカにするなよ、なんと600メートルもあるんだ」
  なんというか、呆れて来た。……バカとなんとかは高いところが好きらしいけど。600メートルって何メートルだろう?
「一度昇ってみれば、その考え方が変わるぞ」
  あ、チドリさん、さっきの枝が。というより前に。
  ごすっ。
  下りの分だけ、威力が上がった。




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